80億分の1人としての、たわいもない日常を記す

儚き命

patiroma2012-12-15

恐ろしい事件が起きてしまった・・

朝、階段を下りてリビングに入ろうとすると妻が泣いて出て来た。『bad newsがある』というので『誰か亡くなったのか?』と聞いたら、亡くなったのは親戚友人ではなく小学校に通う多くの子供達とその関係者だった・・
コネチカット州は妻の生まれ故郷だ。事件の起きた現場までは30kmほどで、周辺環境は妻の生家周辺とほぼ同じで、僕も何度かその近くを通ったことがある。今までの銃乱射事件と言えばコロラド州などどちらかと言えば銃規制がゆるく、経済的にも恵まれていない地域に多かった。しかしそれが今回はニューヨークへの通勤圏内でもあり、経済的にも裕福な地域で起こってしまった。しかもコネチカット州は銃規制にも厳しい州であり、南部の州のように量販店に銃を陳列するようなこともない。妻もあまりに身近で起きたこの事件に衝撃を受けており、今日は今年最後の英語クラスの日でクリスマスパーティーをやっていたが、クリスマスを心待ちにしていたのに命を奪われてしまった子供達のことを思うと泣けてしまって、うまく授業をすることができなかったと悔やんでいた。
日本でのクリスマスとアメリカでのクリスマスはまったく別物だ。多くの人が今週末から長いクリスマス休暇に入り、テレビも何もかもクリスマス一色。その浮かれようと来たら想像以上のものだ。犯人はこのタイミングを狙ったかのように事件を起こしており、子を失った親達の心情を思うと涙がこみ上げてくる。ほんとうに最悪の出来事だ。残された親達にどうやってこのニューイヤーにかけてのクリスマス週間を耐え忍べと言うのだろうか・・
同日、中国でも小学校をナイフ男が襲い、22人が負傷し何人かが重体になっている。しかし現時点では死者はいないのだ。これからも分かるように銃があるゆえに多くの子供達が死ななくてはいけなかった。こんな事件が起きてもなお一部の人間は『もっと銃を持っていれば殺されずに済んだ』などと言っている。まったく愚かなことだ。こんな事件が起こると必ず『コピー・キャット』が現れる。早急な銃規制を行わなければさらに多くの子供達の未来が奪われることになってしまう。

亡くなった子供達、教師達の冥福を祈る。