80億分の1人としての、たわいもない日常を記す

伝えること

patiroma2009-08-15

終戦の日

太平洋戦争に関する様々な特集が組まれる中で、いつもこの時期に思うことがある。

3年前87歳で亡くなった僕の祖父は戦争中、南方のトラック諸島に駐留していた。その話を聞いたのは祖父が白内障の手術のため入院していた時で、その頃僕はまだ小学生だった。どういう経緯で戦争の話になったか思い出せないがその時祖父が語ったことは、アメリカの大編隊が爆撃のため何度も来襲したこと、その度にスコップを握りしめてヤシの木の陰に身を潜めたこと、激しい爆撃で多くの戦友が死んで行ったこと、その爆撃機がどういうわけか珊瑚礁に爆弾を落として行き、魚が空から降って来てそれを拾い集めて食べたことなどだ。それらの話を僕は大いに興味を持って聞いていたが、そんな話を・・と言って祖母に遮られてしまったこともよく憶えている。
あの時の祖父はまだ何かを語りたそうだったが、それ以降なぜか戦争に関する話題に触れることはなかった。祖父の死によって祖父が戦争についてどう思っていたのか?そこで何があったのか?を知る機会は永遠に失われてしまった。

僕はそのことについて残念と言うより、悔しいと思う。誰かが伝えなければあらゆることは一代きりとなり、今後に生かすことが出来なくなる。自分が子供達に『ひいおじいさんはね、むかし戦争に行って・・』と語ることも出来ない。

我々は何のために生きているのか?

それは『伝える』ため、『繋ぐ』ためだと僕は思っている。伝えなければ受け継がれないのだ。

重きことを口にするのは辛いだろう、受ける側も相当の覚悟が要る。しかし伝えねばならぬことがある。知らねばならぬ事実がある。それに耳を塞ぎ、目を閉じていたら、同じ過ちを繰り返してしまうだろう。

国家のため、ましてや天皇のためではなく、自分の愛する者のために散って行った人々の思いを我々は伝えて行かなければならない。


黙祷