80億分の1人としての、たわいもない日常を記す

水田

patiroma2015-06-06

この辺りではちょうど今頃が田植えの時期に当たる。

先週末からあちこちの田んぼに水が引かれ、いつもの散歩コースも風景が一変した。その水が引かれた田んぼに朝早くからトラクターを乗り入れしろかきをしている。一部先行している田んぼでは先週のうちにすでに田植えも終わっているが、植えられたばかりの稲はひょろひょろとした実に頼りないもので、ぺたりと折れて水面に張り付いてしまっている。ところがそんな頼りない苗も一週間が経つと見違えるほど成長し、今では自信ありげに自立している。

水田の面積が増えるのに同調してカエルたちの鳴き声も日増しに大きくなり、今では大合唱状態。もう少し経てば水田の中にオタマジャクシの姿を見かけるようになるだろう。

この何でもない水田の風景がもたらす安堵感はどういうところから湧き上がってくるものだろうか?

理屈抜きに稲田の風景は心を落ち着かせる要素を持っている。それは我々の血の中にあって、郷愁を伴うものでもある。