80億分の1人としての、たわいもない日常を記す

幼き命

patiroma2009-01-05

イスラエルがとうとう地上戦に突入し、死者の数も500人を上回った。このまま攻撃が継続されれば死者が際限なく増えるのは明白なことだ。イスラエルにしてみればこれを機会にハマスといわず、何でもいいからガザに居る若い男どもを一人でも多く殺しておきたいのであろう。そうすればイスラエルに対し恐れを抱くようになるし、将来的な抵抗勢力を事前に抹殺することもできる。でも果たしてそうだろうか?
もし僕が攻撃されるパレスチナ人の立場だとしたら、例え相手が戦車でこちらが石つぶてしかないにしても、精一杯の力でそれを投げつけるだろう。我が一命にかえても家族を守り抜こうとするだろう。いわんや家族が殺されでもしたら自爆でも何でもして復讐を遂げようとするだろう。人は決して力で押さえ込むことなど出来ない。出来たかに見えてもそうではない、そう装っているだけで反撃するチャンスを虎視眈々と狙っているのだ。暴力は憎しみを生み、その憎しみだけが世代を超え、時を越えて一人歩きする。
今回の死者の2〜3割は子供達だという。一体子供達に何の罪があるというのか?たまたまガザ地区に生まれたが為に爆撃で、戦車砲で五体をバラバラに吹き飛ばされないといけないのか?イスラエルは言う『民間人の犠牲は最小限に抑えている』と。その言葉に犠牲者一人ひとりの名前など無い。家族を失い悲しみに暮れる人々の姿も無い。血まみれになりながら『お母さん・・お母さん・・』と叫ぶ子供達の姿も無い。なんて命が軽いんだろう。『それが戦争さ』なんて軽々しく言うヤツを僕は憎む。

もう悲しみはたくさんだ。
なぜ人は争わずにはおれないのだろう?それが宿命だとでもいうのか・・