80億分の1人としての、たわいもない日常を記す

冬至

patiroma2014-12-22

今日は冬至

ということでちゃんとカボチャを食べゆず湯にも入ったので、もう 風邪をひくことはないだろう。インフルエンザはわからんが・・

自分で畑をするまではこの冬至を境に太陽が再び復活してゆくありがたみを感じたことはなかった。しかし今ではその恩恵の意味を身を以てよく理解できていると思う。

普段の生活の中においては『日が短くなったな・・』程度にしか感じないだろうが、作物の生長においてはこれだけ日照時間が短くなると、驚くほどの差が出るのだ。特にこの地方は冬場ともなると伊吹おろしによって流されてくる寒気の影響で時雨れる日が多く、太陽が出ない日が何日も続くこともある。そんな時はホウレン草ひとつとっても全く大きくならず、まるで冬眠しているようになってしまう。

ところが数日良い天気が続き日差しがたっぷりあると、作物は期待通りにグン!と生長を遂げてくれる。

まだまだ本格的な冬はこれからという感じだが、それでも今日を境に日々日照時間が延びてゆけば、あらゆるものの活力もまた息を吹き返してゆくだろう。

これこそが古代の人々が夏至冬至に大きな意味を見出していた訳であり、すなわちそれが当時の生活において『生と死』に直結するものだったということだ。