80億分の1人としての、たわいもない日常を記す

長崎忌

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今日、長崎の鐘は澄んだ青空に響き渡ったが、その心に耳を傾ける核保有国の首脳は一体どれだけいるのだろうか・・

アメリカの暴虐トランプは言うに及ばず、兵器としての核に固執する連中はもはや駆け引きのカードとして核兵器を捉えていない様だ。いくら日本が広島や長崎の惨禍を訴えようが、『戦争を起こした連中の末路はそんなもんだ』と言わんばかりで一顧だにしない。

未来の『戦後』を扱った映画やアニメは数多く作られているが、その多くが核戦争後とされているところに不気味さを感じてならない。それらに対して『こうはならないはずだ』と言い切れる人がいるだろうか?逆にこの未来の仮想現実をすんなり受け入れる人の方が圧倒的に多いのではないだろうか。みな潜在的に『人間は愚かだからいつかこういった事態を引き起こしてしまうはずだ』と思っている証拠だろう。であればこそ最悪の事態を防ぐために核廃絶を成し遂げねばならぬのだ。

これはアメリカで銃の所持禁止を実現するのと同じくらい難しいことだが、銃を無くせば確実に銃による死亡者を減らすことができる。それと同じで核攻撃を防ぐには核をなくすしかない。自分はそう信じている。