80億分の1人としての、たわいもない日常を記す

英雄とは?

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自分の持つ英雄像と、欧米諸国が持つ英雄像との差が大きくどうもしっくりこない。

フランスで起きたムハンマドの風刺画に関する教師殺害事件は首を切断されるという凄惨なもので、 その行為は到底許されるものではない。しかしその亡くなった教師が英雄として勲章を受け、国葬されるということには他国のことながら違和感を感じる。そもそも偶像崇拝を禁じるイスラム教の預言者であるムハンマドを貶めるかのような風刺画を表現の自由として放任していいものだろうか。個人的なレベルでなら表現の自由として容認されてもいいとは思うが、広く大衆の目に止まる誌面などで神や預言者・宗教指導者を貶めるような風刺画は、心の拠り所とする人々を傷つけるもので、自分としては許されないという立場だ。しかもこのケースの場合フェアではないと思うのはムハンマドの風刺画に対して『それは表現の自由だ』としているが、もしムハンマドを描いたようなタッチでイエス・キリストを貶めるような風刺画であってもフランス国民は『表現の自由』としてすんなり受け入れるのだろうか?

どうもこのフランス的『表現の自由』は差別に根付いた感が強く、納得できない。

日本人の自分がどうこう言う問題ではないのかもしれないが、国民受けを狙ってのマクロンのパフォーマンスには辟易するよ。