80億分の1人としての、たわいもない日常を記す

広島の日

patiroma2007-08-06

今日は62回目の広島の日。新聞もとっておらず、テレビも見ず、ラジオも聞かない自分にとってはよほど注意していないと思わず忘れてしまう何気ない一日。同じその一日を62年間ずっと耐えて来た人々にとっては言葉に表しようがない程つらく、重く、大切な一日なのだろう。抜けるような青空からたった一つの爆弾が落ちて来て何十万という人々を焼き尽くし、その心までもを容赦なく焼いてしまった。その爛れた心を更に傷つけることを平気で言う輩が増えて来ているように思う。何十万の人々は何のために焼かれ、傷ついたのか?何のために命を落とさねばならなかったのか?
ご冥福をお祈り致します。