80億分の1人としての、たわいもない日常を記す

追悼

patiroma2018-08-20

義母が亡くなった。

こちらの夜中のことだ。

数日前から何も口にすることができず、ほぼ反応が無い中で迎えた死だった。

しかし義母としては思い残すことは無かったのではないかと思う。

食道に癌が見つかった時は既にステージ4で、それから3年半以上命を繋ぐことができた。春に渡米した時は驚くほど元気で、とても末期癌患者には見えなかったほどだ。だが、全身に転移した癌は徐々に義母の体力を奪い、今日の死を迎えるに至った。

明日孫娘たちが日本へ飛ぶというタイミングでの他界に、義母の憶いを汲み取ることができる。この夏休みには義母がかねてから望んでいた一族皆そろっての旅行も叶い、とても良い思い出と写真を残すことができた。

何事に対しても合理的で段取りよく真摯に取り組み、また気配りも忘れない義母の姿が思い起こされる。一族のリーダーであった義母を失い、シアトルのみなの悲しみは深い。

義母他界の報告を妻から受けた時、意外としっかりしてとにかく忙しそうだった。妻曰く『私はもう充分泣いた。もう泣いてる暇はない』と気丈だった。確かに翌日日本に帰国する娘たちの荷物のパッキングもあるし、役所への死亡届の提出や、義母の友人・知人たちへの連絡など発狂しそうなくらいやることだらけだ。

妻は一人娘ゆえ、叔母たちの助けがあるといえども一人で背負わなばならぬ部分も多い。

生前義母に頼まれたことがある『知っての通り何かと難しい娘だけど、よろしく頼む』と。

義母は本当に尊敬できる人だった。その義母との約束を自分は残りの人生をかけて果たそうと思う。

義母を失った衝撃をまだ我が家族は実感できていないが、みなの心にこれからも義母が生き続けることだけは確かだ。


ただただ今は義母の死に頭を垂れ涙し、そして深く感謝申し上げたい。

ありがとうございました・・