80億分の1人としての、たわいもない日常を記す

責任の所在

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人には責任を負わすが、自分は責任を取らないという輩が政治にも企業にもあまりに多過ぎて嘆かわしい限りだ。歴史上常にこういうことは繰り返され、その度に大きな犠牲を払ってきたにもかかわらず同じ過ちを性懲りもなく繰り返している。ということはこれが人間の性なのかもしれない。

GO TOキャンペーンの見直し発表後、案の定政府は混乱に陥り、今後検討していくという答弁に終始し、こういった事態に対する準備をしていなかったことを露呈している。こんな様でよく新型コロナ下でオリンピックを開催しようなどと本気で思っているなと、そのバカさ加減に恐ろしさを感じる。どの国も経験したことがない様なことを日本がやろうとするのはチャレンジングでいいかもしれないが、それにはそれなりの苦労と徹底した準備、何重もの予防策がしっかりと機能して初めて可能になるものだろう。それだけの大事業を今の日本ができるとは到底思えない。こんなGO TOごときで浮き足立っている連中にできるはずがない。いや、GO TOと同様に強行することは可能だ、しかしそれが原因で感染拡大を招いてしまっては多くの国が関わっている以上ヘタを打つことはできない。

結局、失敗した責任を誰が取るか明確にせず行われることが上手くいくとは思えない。とくに新型コロナ禍という特殊な状況の中ではなおさらだろう。今の政府にはそれが無い。