80億分の1人としての、たわいもない日常を記す

終戦69年

patiroma2014-08-15

尋常ならざる蒸し暑さの中、終戦の日を迎えた。

朝から大気は重く、息苦しいほどの湿気に満ち満ちている。

南方の小島に守備隊として派遣されていた祖父もこのような暑さの中、米軍の猛攻に耐えていたのだろうか・・

祖父は生きて帰って来て母を授かり、そして僕が生まれた。思えば生と死の境は限りなく薄く、今ある僕の存在もきわどいものだ。

そんなきわどい僕から新たに命が繋がってゆくなんて、ヤシの木の陰に隠れて米軍の爆撃をやり過ごす日々を送っていた祖父は想像もできなかったはずだ。というかその日生き残ることで精一杯だったのだろう。

靖国に参拝する・しないなんてどうでもいいことだ。

二度とあのような愚かしい戦争を繰り返さない、そう心に刻むことが何より大切だと思う。