80億分の1人としての、たわいもない日常を記す

終戦75年

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猛暑の中、75回目の終戦記念日を迎えた。

年々周辺環境が変化してゆく中で日本はどのような道を進むべきなのか、活発な議論が必要とされるのに、我が政府は無能者の集まりで野党も絶望的だ。こんな奴らに国を任せていては先の大戦の二の舞にならないかとヒヤヒヤする。何よりも国としての立ち位置が曖昧でこれでは『日本』の影が薄くなるばかりだ。いや、決して目立つ必要も無い。ただ、我が国の意思が国民にも他国に対しても見えないのだ。戦後75年を迎え思うのは、やはり日本はアメリカの属国でしかない、ということだ。それは憲法を改正するどうのこうのという話ではなく、国の姿勢ひいては国民の考え方そのものが初めからアメリカに依存しているため、そうならざるを得ないだろう。

国としての意思を示せずして何が国家だろう。日本特有のグレーゾーンそのものは日本のアイデンティティーの一部でもあるのでいいと思うが、言うべきことを何も言わない今の姿勢は他国の不審を招き、信用を失うことだろう。意見を述べることはその意見に対し責任を持つことだ。逆に言えばはっきりと意見を述べないことは『オレは責任を取らない』と言っているようなものだ。今の政治はまさにこの無責任が充満膨張し腐り切っている。早く何とかしなければ・・