80億分の1人としての、たわいもない日常を記す

命水

 能登半島地震の被災状況を見守っているとやはり水が手に入らないことが何より困ることだというのがよく分かる。飲み水はもちろん、手を洗ったり身体を拭いたり、トイレを流すのに使ったりと、水の用途は多い、被災地では雪を溶かして水を確保している人もいるというが、焚火できる環境ならともかく電気が通じない状況では石油ストーブなどが頼りになるが、水が手に入らない以上石油の確保はそれ以上に難しい。今回の被災地は立地が海に近いため井戸などの利用も難しいのだろう。山は近いが険しいため山からの水も確保しづらいのかもしれない。こういう状況を見ていると井戸の重要性が見直されてもいいのではないかと考える。だってほんの数十年前までは現役だった井戸がそこら中にあったはずだ。それが上水道の普及により使われなくなり、開発も相まって多くの井戸が埋められてきた。大地震の影響で井戸が枯れてしまうことも考えられるが、例えば部落の神社やお寺などに災害対策用の井戸があってもいいんじゃないかと思う。もしくは古井戸があるならそれを再整備して電動ポンプではなく昔ながらの手押しポンプを備えてえおけばいざというときに飲料用とは言えないまでも様々な用途に使える水を確保することができるはずだ。今回の地震がもし真夏に起きていたなら、1週間に及ぶ断水状況と飲料水を含む救援物資の未到達は、生命維持に関わる問題となっただろう。そんな事態に備えるためにも井戸を含む飲料水の確保を再考すべきだと思う。