80億分の1人としての、たわいもない日常を記す

在りし日の声

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昨年亡くなった義母は三女が生まれる前、今から10年ほど前だが妻の英語クラスで使う本の朗読をひたすら録音していたことがあった。その時の音声を熱で病欠した三女が


聴き始め、数時間に渡って聴き続けていたそうだ。

今でも時折義母のことを思い出しては『グランマが死んじゃってかなしい・・』と泣くことがある三女だけに、録音とはいえ義母の元気な声を聴いて嬉しかったんじゃないかな。

特に体調が悪くて苦しんでいる時なので、亡き義母の声から元気をもらっていたのかもしれない。妻も自分の母親の元気だった頃の声を久しぶりに聞いて万感迫るものがあったらしく涙ぐんでいた。

なぜ惜しい人ほど早く亡くなってしまうのだろう・・その理不尽さを誰もどうすることもできず、ただ受け入れるしかない。

いつも本を読んでくれたり、カードゲームなどを一緒にしてくれたグランマを失った三女の悲しみは、僕らが想像しているよりもずっと深いのだろう。先週、入選した三女の絵を観に行ったときも車の中でグランマのことを思い出して泣いていたが、それは入選を誰よりも喜んでくれるはずのグランマが居ないことを悲しんでいたのだと思う。