80億分の1人としての、たわいもない日常を記す

祖母葬儀

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祖母の葬儀は正午から始まった。

参列者は総勢13人と少人数だが、逆に身内ばかりなのでとてもリラックスした環境で葬儀を行うことができて、とても良い印象を受けた。

葬儀に先立ち、自分が堤防に植えた満開の桜の枝を手折り、祖母の旅立ちへの花向けとした。祖母はたくさんの花とともに召され、大好きだった甘いお菓子をたらふく食べていることだろう。

喪主である叔父は、生前祖父が祖母や皆に口癖のように言っていた『必ず自分よりも長生きせよ』という言葉を紹介し、それに応える形で祖母が糖尿病や痴呆を患いながらも祖父の91歳を超え92歳で亡くなった、その頑張りを称えて涙していた。

今回の葬儀には亡くなった祖母のひとつ違いの妹さん(通称たまちのおばちゃん) も参列していたが、そのおばちゃんが僕をじっと見つめ『あんた亡くなった祖父に生写しやなあ、ほんとびっくりするくらい似とるわ』と言うじゃないか。その他の親戚にも口々にそう言われ、亡き祖父が隔世遺伝で僕に現れていると妙に納得されてしまった。ただ、これは以前から自分でも何となくそう思っていたことで、頭のハゲ具合や気性はたぶん一番自分が受け継いでいるんじゃないかと自認はしていたが、今日はそれが裏付けられた感じだ。

新型コロナの影響で関東圏・関西圏の親戚は参列できなかったが、それでも久しぶりに皆と会い、いろいろと話す機会を持てたのは良かったと思う。それが葬儀を行う真の意味だと改めて感じたね。