80億分の1人としての、たわいもない日常を記す

時間のムダ

 

f:id:patiroma:20220407074523j:plain


毎年この季節は娘たちが学校から大量の書類を持ち帰り、それらを迅速に処理していかなければならない。書類対応は妻ができないので自分の仕事だが、高校に入学したばかりの次女の分は仕方がないにしても、5年生になった三女の家庭環境調査の書類などは内容が変わったところは年度と学年・クラス・出席番号くらいであとは何も変わっていない。にもかかわらず学校からは新しい紙に書き直す様にとある。しかもその紙の裏には自宅周辺地図も添付せねばならないので、結構手間がかかるのだ。こういう馬鹿げたことに時間を使うことほど腹立たしいことはないので、修正ペンで年度と学年クラス番号などを修正し、明日先生に提出する様にした。次女が通っていた中学校ではこういう家庭環境調査の紙は、変更箇所のみ赤字で修正し提出する様になっていたが、それが正解だろう。なぜ全てを書き直さねばならないのか、その意味が分からない。紙の無駄遣いだしね。こういった旧態然としたことを何も考えずに淡々と続けていることがかなり多い。PTAにしても学級委員の選出にしても然りだ。今や時代は大きく変わって共働きが当然となっている。そこに必要でもないPTA役員の集まりだったり、学級委員の仕事を持って来られても仕事を休まねばならず、当然皆が役員や委員などやりたくはない。それを無理にくじで選んであたかも罰ゲーム的に強制する必要が果たしてあるのだろうか。自分は強制してでしか人数が集まらないPTAなどは即解散すべしと考えているが他の人の意見はどうだろうね。