80億分の1人としての、たわいもない日常を記す

真珠湾80年

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旧日本帝国海軍の真珠湾攻撃から80年を迎えた。その当時シアトルに住んでいた妻の祖父母にとってはこれが苦難の始まりだった。日系2世として鮮魚の卸をしていた祖父母はやがて強制収容所に入れられ、仕事も家も失うこととなった。終戦後解放されたものの、多くの日系人は住まいと商売を韓国系や中国系の人々に奪われ、アメリカ人でありながら屈辱的な扱いを受けたのだ。そういうことについては誰も語りたがらなかった。妻の祖父母は幸運だったようで、卸業の同僚が店を守ってくれたらしく仕事をすぐに再開することができたらしい。

日本国内では日系アメリカ人が受けた辛酸について知っていても強制収容所に入れられていたくらいのことだろうが、実際には人種差別に基づいた苛烈な扱いを受けていたのだ。同じ敵国でありながら日系人だけが強制収容所に収容された点を見てもよく分かるだろう。戦後も続く差別に日系人はじっと耐えてきた。強制収容所に入れられたことについてはアメリカ政府が正式に謝罪し賠償も行われたが、昨今のアジア系に対する差別と同様に今だに残っている。

戦争は直接的な戦闘とそれによる被害に注目されがちだが、実際には世界規模で社会的に大きな影響を与えることになる。そのことを正確に理解していればまず戦争を引き起こすことなぞできはしない。

戦争に勝者は居ない。戦争を引き起こした時点で既に負けなのだ。