80億分の1人としての、たわいもない日常を記す

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何も考えず、ただ炎を見つめるだけの時間。 

我々の先祖たちが連綿と続けてきた炎との関わり。今では選択次第で炎とは無縁の生活を送ることも可能となった。その影響か、都市部の子供たちの中には炎を見たことがないという子も居るそうで、全く驚かされる時代となった一方、コロナ禍の影響もあってキャンプが流行するなど、炎との関わりを取り戻そうとする動きも一定程度はあるようだ。

炎とは不思議なもので時に人の命を奪うこともあるが、ガス・電気などの現代インフラが整備されていない状況では生きてゆくために必要なものであり、それが故に炎の存在は人の心を落ち着かせる作用を持っているのかもしれない。

今日もここ数週の例に漏れず晩ご飯はサツマイモの焼き芋で、いつものように自家製カマドにセットしたダッチオーブンにサツマイモを並べ、1時間ほど火を焚けば出来上がりという単純なもの。この焚火の番が実に楽しくて毎週やっているようなものだ。

すっかり日が暮れた中、カマドに薪をくべ火を入れる。やがてパチパチと炎が上がりカマド周辺だけがほんのり赤く照らされる。チロチロと揺らめく炎を何もせず見つめていると、時間を忘れ見入ってしまう。こういう落ち着いた時間を過ごすことが現代社会の日常ではほとんど無くなってしまった。月を愛で、星を見上げる時間も同様だ。

先人たちと比べ現代人は利便性よく生活しているかもしれない。しかし心の余裕に関して言えば比べるべくもなく、貧相この上ない。