80億分の1人としての、たわいもない日常を記す

閉塞この上無し


 閉塞感漂うと言うより閉塞感が満ち満ちた今の日本社会は一体どこへ向かおうとしているのか。政府をはじめとする公的機関は失敗とそれに対する批判を恐れ、リスクを取らず守る事ばかりに注力している。時には守ることも必要だが、今はその時ではない。社会は変化を嫌い、今までの残滓にすがろうとしている。そんな衰退してゆく日本を尻目に各国は果敢に未来へと挑んでゆくのだろう。人類はその時々の環境変化に適応するため、多大なる犠牲を払って変化を続けてきた。つまり変化しないもの、変化できないものはあっという間に淘汰され滅びゆくのだ。

何も決めれず誰も責任を取らない今の日本社会が今後も今までの様に続くとの幻想に囚われている人間の何と多いことか。もはや平和ボケなんてレベルでは無く生き抜くことにボケてしまっている。生きることはそんなにたやすいことなのか、生きていることが当然となっていはいまいか。『慣れ』は安心を生むかもしれないが慢心も生む。その慢心が淘汰への入り口であることを肝に銘じておくべきだ。